先日、念願のウィーンへ行きました。ウィーンと言えば、モーツァルトやハイドン、シューベルトが活躍した街。ベートーヴェンも21歳からウィーンへ移住しました。
作曲家が実在したと言う事を実感出来、同じ空気を感じられた事が何よりの宝です。ウィーンに行った事によって、作曲家に少し近づけた気がします。
今回は一番行きたかった、ベートーヴェンのハイリゲンシュタット遺書の家を訪ねました。耳の状態が悪化したベートーヴェンはこの家で弟宛てに遺書を書きます。
この遺書には、自分は耳が聞こえずどん底の状態だったが音楽よって引き戻された。まだ自分には書かなければいけない音楽があると言う切実な思いが書かれています。実際、この遺書を書いた後素晴らしい曲をどんどん作曲します。
交響曲第9番を作曲したと言われる、近くのホイリゲ(酒場)へも行きました。
ベートーヴェンが良く散歩をしていた、ベートーヴェンの散歩道。ここで自然の美しさと静けさに耳を傾け、交響曲「田園」の構想を練っていたようです。近くのハイリゲンシュタット教会の鐘の音は殆ど聴こえて居なかったようです。実際の散歩道は、次回行ってみようと思います。
ベートーヴェンの時代のウィーン式フォルテピアノ。ペダルが5つあり、音域は今より半オクターヴ狭いです。どんな音がするかは1階のCDで聴けます。
ベートーヴェンの自筆譜が沢山展示されています。(写真が撮影可能と不可の物とあります)上手く行かないと思うと楽譜をめちゃくちゃに丸めたり、ぐちゃぐちゃと上から殴り書きしたり、兎に角気性の荒い人だったようです。ベートーヴェンの人生には沢山の苦脳がありましたが、弟や甥カールの面倒を見たり、情に厚い人であった事は音楽を聴くと、その暖かさからも良く分かります。
シューベルトもブラームスも、ベートーヴェンを敬愛していました。
この他にも、骨から音を伝える補聴器の音、ベートーヴェンがコーヒー好きであった事、昔は抗生物質のような働きをする鉛を傷に塗って病気になり、肝硬変で亡くなった事、デスマスクなど展示されています。 ベートーヴェンの魂を感じました。
ヨハンシュトラウスはベートーヴェンと対照的に、洋服や髭はいつも最新のスタイルにしていました。 ピアノはべーゼンドルファー、音域も現代の物と同じ88鍵ありました。オルガンやヴァイオリンも弾き、作曲する時は座らないそうで、素敵な専用の机もありました。楽譜も凄く綺麗でした。
ウィーンにはまだまだ音楽家なら是非訪れたい場所が沢山ありますので、また定期的に行きたいと思います。