バレンボイム音楽論

 

日差しの強い季節となりました。

5月には遂に勉強会を開催する事が出来、生徒さん達も楽しく演奏出来た様子で久々の喜ばしい出来事でした。

私はコンサートは勿論の事、ベルギーの楽器博物館へ行ったり、サンルイ島にあるポーランド歴史文学協会のサロン ショパンを訪ねたりとコロナウィルスで暫く出来なかった事にどんどん挑戦して居ます。

(ブリュッセル 楽器博物館)

(ポーランド歴史文学協会 サンルイ島)

最近は日本から家族が遊びに来ましたので、読みたかった本を何冊か持って来て貰いました。

「バレンボイム 音楽論」

バレンボイムは非常に頭が良くタフな人で、暗譜でオーケストラの指揮をした翌日にベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏をしたり、そのすぐ後にオペラの指揮をする様な過密スケジュールを普段からこなして居ます。

13歳くらいから哲学の本を擦り切れる程読み、
スピノザと言う哲学者に傾倒して居るそうです。ヴォルテール、アリストテレス、フロイトなど哲学者の言葉が出て来ますが、何度も読み返さないと意味が分からない。読んでも分かって居るのか、自分でも分からない様な文章が沢山出て来ました。

バレンボイムが言う印象に残った言葉は音楽を聴くと言うのは知識や知性を伴う事で、受動的に聴くのでは無く能動的に聴く事で、音楽からの恩恵を享受出来ると言う言葉です。
つまり音楽をバックミュージック的に聞くのでは無く、主題を聞き取ったり、テーマの変化を聴き取る耳が必要で、聞くと聴くは違うと言う事です。

音楽は確かに、聴いて癒されたいとかリラクゼーション的な効果を求める気持ちも分からなくは無いのですが、音楽を表現すると言うのは人間の心そのものを表して居て、言葉では言い表せ無い様な複雑な心情も音楽だと表現する事が可能です。リラクゼーション的な効果以上の尊い物で、バレンボイムは音楽とは人間について学ぶ事が出来る手段だと言い切って居ます。耳の知性を発展させる事は、誰にも必要不可欠な事だと書かれて居ました。

それは勿論楽器が弾ける事とは関係無く、弾く側も聴く側も、人生に役立つ多くの事を曲の構造や法則から学ぶ事が出来る。静寂と集中力を持って音楽を聴く事が非常に大切なのだそう。そうする事で誰でも音楽からの恩恵を受ける事が出来るそうです。

そして演奏する側も曲の分析は不可欠で、恐らくそれは作曲家の人生や楽器や時代背景など、それから自分の人生経験も重ね合わせて一生かけて取り組んで行く事なんだろうと感じました。
自分がどう表現したいか、いつも自分に問いかけて答えを出すのが大切だと書かれて居ましたが、その辺りが欧米らしいと思います。コンセルヴァトワールの試験などを聴いても、テクニックよりも表現に重きを置いて居る気がします。人の真似と言うよりどう表現したいかがはっきりして居て、作曲家や当時の楽器の音などインスピレーションが沢山あるのでは無いかと演奏から感じます。

フランス革命の自由、平等、博愛の主義を絶えず再評価し新たな現実に適合する様に、バッハの音楽もまた異なる時代の異なる様式で、新たな表現が出来るか演奏会の度に取り組まなければいけない。

この様に音楽を勉強すると言う事は、終わりのない無限へ向かって居ると言う事が書かれて居ます。
またヨーロッパの歴史とクラシック音楽はとても関わりが深く、また哲学もヨーロッパの歴史や宗教とは切り離せません。
それを思うと、まだ私の知らない世界が無限に広がって居るとこの本を読んで感じました。

来年度はバレンボイム指揮、アルゲリッチが演奏をするコンサートに行きますので、益々楽しみです。